よく、日本社会は横並びで均質を好むと言われます。バブル崩壊以降多少差が開いたとはいうものの、給料は大体同程度,銀行の頭取だって普通より多いでしょうが(昔、大銀行の頭取が銃で撃たれたという事件が有って、ニュース画面を見ましたが)やはり普通の"しもた屋"にお住まいの様だ。
ビルゲイツや、マイケルジャクソンなど・・と比べれば、ふつうです。
が、創造性や`パソコン適応力や・・は大きな個人差があって、数値化すれば桁違いな程の差だ。
以前或る広告制作会社の社長さんに「実は私は一切パソコンが使えない」と吐露されたんですが、概して男より女性の方が若干適応力があると感じてはおり、その個人差たるや大きなものが有ります。しかもそれで済んでいる。
創造性に関しては、小学生低学年レベル(いや低学年以下かも)の人もいれば、職業として「想像力」を武器にしている人もいる。日本では極めて少ないし、評価も不当に低いと思いますが。
物事の説明手法も文章至上主義で他の手法は発想の中には無い。
これに関して分かりやすい例に出すのが、PC、インターネット関連の発明だ。
もしこういうものが存在しないとしたら、果たして日本で考案出来ただろうか??
無い所から造り出す事が「創造」です。
最初に作ろうという話し合い場面で、提案してもまず却下でしょう。発明しようとする芽を摘んでしまう土壌なのだと思う。
以下、決して大きな事を言いたがりでは有りませんが、
中略
が、人の能力はそれだけでは有りません。
作家の堺屋太一さんは、「あの人達は試験に良い点を取る事に優秀な人たちで、創造性という物差しで計る事は評価の外なんです」という内容を話しておられました。
すべからく、日本社会ではこういう物差しで出来ています。
頭が良い、人物が優秀という事の物差しが「試験でいい点を取れるか否や」の一辺倒は如何なものか?
だから、発明や創造が生まれない。他で創られたものを真似る、利用するのみ。
無論、創造性の無さへの羞恥心などは無い。
もっとも創造性を数値で計れといっても無理が有りますが・・。
もし仮に発明国が,PCやネットのシステム技術を一切海外に持ち出し禁止としたら・・と考えたら発明や創造の意味が良くわかります。
中国社会はパクリが常習でミッキーなどのキャラクター、日本の工業製品ブランド・・がパクリで・・などとマスコミでは取り上げられますが、これは戦後間もなくの日本と似ているのではないでしょうか。
現在の我々は、パクれば結局大きな不利益と分かっている為しないだけで、「創造性の大切さ」という点の無関心は日本と中国に如何程の差があるだろうか。
日本社会においても立場上、パクっても問題になる事が無いという場合ならパクるというのが本音でしょう。
両国の差は「パクれば結局大きな不利益」と分かっているかどうかの差では無かろうか?決してモラルの差では無い様に思います。あちらからの回し者では有りませぬが。
この「創造性」という観点での国際比較をしたら、果たして日本は優秀な国だろうか?
これで日本の将来が分かると言ったら大げさですが・・。
「創造性」が最も大切という物差しを重視していく事が、これからの社会で重要な事だと思う。会社の命運もある種の創造からではないだろうか?良く知りませんが。
早晩、国際的な競争という事からもそうならざるを得ないと思いますが、・・私には差し迫った事ではないのでどうでもいいか。
評価をしない「創造性」という能力には大きな個人差があるという話です。